あれから一年が過ぎます。政府やメディア、政治家、役人、科学者、医者など国の重要な立場にある人々の不作為が目立ちました。時が経つにつれ、司司の人々のみならず我々一般人にもそうした劣化は大きく広がっている様に見えた。しかもそれは震災と原発事故による昨年だけの特殊な現象ではなく、震災が切っ掛けとなりもともとの日本人の姿がむきだしにされた。そう考えると事態は想像以上に深刻で自分が見ていた世界は張りぼてだった事になる。まさに幻世。警察官は悪い人をつかまえる、裁判官は公正な判断をする、医者は患者に正しい治療をしてくれる。こうした合意があって世の中は回っていたのですがこの前提はもう有効でない。これからは極端な事を言えば医者にかかる時、まともかどうか自分で確かめなくてはいけないのが実態かもしれない。
もし、中国が原発事故をおこし、放射能拡散予測を政府が隠し、人々に知らせず、世界各国が自国民を80キロ圏外へ退避させるなか、子供や女性を高線量の土地に一年以上縛り付け逃がさない、食べ物の基準も突然甘い基準を採用し瓦礫も全国に拡散、事故の原因も解明されないうちに原発の再稼働や輸出を口にする。そんな対応をすれば、日本のメディアも人々も猛烈に叩きまくっただろう。でも残念ながらこれは日本で起きている事です。しかし、それに対して非難の声がわき上がるどころか、一年たっても大部分の人は放射能の事でさえ、ほとんど学習していない。昨年の出来事は私たち存在のあり方に深い問いかけを突きつけている。その問いから誰も逃れる事はできないが一年過ぎてそれを正面から見る事ができない。原発推進派も反対派も私も含めそのポジションに安住し思考停止だ。全ての人がどこかもう普通じゃない。
つい数十年前、自分が子供の頃の日本は外国から見れば「チビで眼鏡をかけ、出っ歯で首からカメラをぶら下げた劣等民族の姿として」侮蔑のこもった漫画が象徴的だった。ラジオやバイクが少しずつ世界に認められる様になり、子供の目にも「メイドインジャパン」に少し誇りを感ずる様になっていったのを覚えています。
つい数十年前の日本の姿を忘れ、事故の対応をできないまま、日本はすばらしいとか日本の繊細な食文化をこれから世界に発信するんだとか、これだけ異常な事態に国内では事実を正面から見つめようとせず、一番肝心な事に目をつぶり、周辺の関係ない事ばかりやっている。子供や若い女性を助けなくて脱原発も除染も復興もすべてが無意味だろう。「殺すな!」
数年後、日本の伝統、芸術、科学、宗教、哲学、医学、技術どんな分野であろうと世界に向けていくら「すばらしいでしょう」とアピールしても「ああ、でも、あなたたちは子供と弱い立場の女性を助けなかったんですよね」と言われて終わりです。失った信用を取り戻すのは当分難しいだろう。日本は停滞から衰退へ予想より早く向かうのは避けられない気がします。「子供と女性を助けなかった国」というレッテルを貼られたまま、まがりなりにもまともな国と我々自身も認識できる様になるのか、世界からもそう見られる様な日が来るのか考えると重い気分にならざるをえない。
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