日常の些細な出来事の記録としての木工屋のブログも始めてもう7年目です。当初は草花の写真や工房の移転、家具作りの事などがその中心でした。しかし小泉、竹中改革の頃から、一色に染まるメディア報道や世の中の風潮に違和感を感じ、政治や経済、メディア問題に言及する記事の数が増えていきました。そして毎年やってくる敗戦の日ですが、特にその事について取り上げた事はありませんでした。
戦後日本は戦前、戦時中、何を間違えて惨禍を引き起こしたかを国民が反省する事なく、よそから頂いた平和憲法と民主主義のもと繁栄を極め、バブルの崩壊に至り、再び自らの指針を失いました。しかし敗戦の経験をいかせなかった事と同様に失敗の事実を見据える事もなく、よそから頂いたパラダイム(グローバルスタンダード、規制改革、)に乗せられ金融至上経済に突入し、リーマンショックで再び痛い目をみたばかりです。『これは二度目の敗戦だな』と思ったものでした。
リーマンショック以降このインチキ経済は早晩崩壊する日がやがて訪れ、周りの空気を読む事ばかりに懸命で自分の頭で考え価値判断できない日本はかなりヤバイと考えていました。それが震災と原発事故という形でやってくるとは思いもしませんでした。そして世界の情勢をみても経済的にも政治的にも行き詰まり、日本の惨禍に追い打ちを加えそうです。
そして震災から五ヶ月がすぎさり、本日『敗戦の日』を迎えたわけです。震災後の日本を観ていると、またしても都合の悪い事実を直視する事なく、東日本以外の地域では何事もなかったかの様に花火を楽しみ、高校野球を楽しみ、夏休みを満喫する人々がいます。何ともシュールな夢の国であります。
私が考える今一番大切な事は汚染された土地に何万もの人々がいまだに捨て置かれている事をすべての国民が自分の事として受け止める事、特に子供と妊婦さんや若い人は一時的にでも放射線の影響のない場所に移動させてあげる事だと思う。その為にも科学的な態度で正しい情報を住民に伝え、自分で行動を起こせる機会を与える事です。この五ヶ月その判断材料さえ意図的に隠されています。すべての国民に真実を伝え「どんなに金がかかろうが、困難だろうが人々を救うんだ」という共通認識ができあがってはじめて復興という言葉が使える。無かった事にしてやり過ごせる事態ではないし放置すれば必ず痛い現実が近い将来我々の眼前にあらわれます。
しかし震災後、政府も東電も報道もうそを垂れ流し未だにその姿勢は変わりません。最近話題の怪しいセシウム米のテロップが流れた事件の人々の反応とその顛末は事が二重にねじくれていると思う。放送を流したテレビ局の人間の本心は今年の東北米は汚染されて危ないと思っているからこそできたテロップで本来なら自分たちの本心「危険の可能性がある」事を伝えなければいけない筈です。しかし「ハリボテの事しか伝えない」が彼らのスタンスですから事故で本心が流れてしまったというのが実際に起った事だと思う。世の中の反応は「本当の事を言ってけしからん」というおかしな事になっています。
戦後二回も総括に失敗したのは何も指導的立場にある人々だけの問題ではなく、自分の頭で考えず、空気を読み、お上に指示されないと行動できない大部分の聞き分けの良い羊の様な国民にも責任がある。自分でも原発震災後は科学的知見を得ようと小出さんや様々な科学者の情報を入手したが知らないうちに小出さんやその他学者に正解を求めてしまいがちな自分がいます。自分にも染み付いた日本人独特の誰かエライ人に答えそのものを求めてしまう傾向があります。情報は情報として受け取り自分で判断したいものです。実はこうした日本人に染み付いた頑固な思い込みは外部からみれば一種の宗教みたいなもので本人が信じ込んでいる宗教を本人は宗教と思っていないので始末が悪く、どんなに騙されても政府や役人の言う事は素直に信じ、 TV や新聞の報道を未だに信じ、今の世の中の問題提起まで新聞や TV の報道にしていただき、引きずられしまっている事さえ気が付かない。これだけ世の中に悪い空気を吹き込んでいる新聞一つ止められない。そんな小さな行動一つ起こせない。「いやな事は観ない事にしよう日本」という宗教に取り憑かれた我々自身がこのまま変われなければ三回目の敗戦を迎え、「劣等国家日本」という看板をぶらさげた夢見る奴隷としての民がわれわれの近い未来の姿なのかもしれない。

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