依存症がぬけない 「小出さんこの頃少し変よ」
失われた20年、そして震災、世界経済の破綻、天変地異、原発も打つ手がもう無さそう。被災した人々を置き去りに除染、復興、脱原発、新エネルギーが語られる。今までの行政システム、政治、報道など権威あるものとして信じられて来たすべてがそして私たち一人一人の本当の姿もむき出しにされ、指針を失い311以前と同じ様に生きる事はできない。助ける人が加害者に被害者が加害者に人々の思いが錯綜して内戦状態、すすむべき道筋が見えません。
久しぶりに読書、「困ってるひと」大野更紗、ベストセラーだそうです。一気に読みきりました。難民の援助活動をしていた彼女ですが数年前、自分が原因不明の難病を患い、一年近く病院を渡り歩き、最後にたどり着いたのが彼女曰くオアシス。そこは制度でなくスタッフの超人的な献身で成り立つ病院。日本という国のなかで自分は難民だと気付き、言葉ではぼんやりと信じていた福祉制度だが、実際の制度は大きく違っていた。手続きの煩雑さ、その使い勝手の悪さ、当事者とのコミュニケーションの不在など正にモンスター。一人の女の子が闘病生活とそこからの脱出までを描いた現在進行形のお話です。
一つのエピソードがとても重要な視点だとおもいました。病棟オアシスのスタッフや先生を十分信頼しているし献身的な活動には感謝もしていましたが、一番、相談が必要な時に彼女との意思疎通は決定的に欠けていた。全幅の信頼をおき、すべてを預けた先生もただの明治時代風の権威主義オヤジの一面をかいま見てしまうシーンです。すべてを預けて良い人間などいないのです。
現在彼女は病院を脱出、依存を断ち切り、一人暮らし。自身が難民となり、初めて見えたこの社会のモンスターと彼女ができる範囲で日々コツコツと戦い続けています。彼女の知力とユーモアは我々に力を与えてくれます。
さて本題です。小出先生の話は震災以降よく見聞きしてきましたが数ヶ月前から少し気になる事があります。彼は人生の大半を反原発に捧げ、人々に警鐘を鳴らし続けてきた人で、言わば反原発のヒーロー。誰もが賞賛し尊敬するのは十分解るのですが、震災後メディアが殺到し何でもかんでも「これは如何ですか、我々はどうしたら良いですか」と意見を求める。彼の発言が一定の影響力を持っている今、世の中、小出中毒のきらいが見受けられます。
小出先生の話には大方、賛成なのですが、講演会の話し方に少し変化がみられます。一番の希望は子供を助ける事と何時も前置きするのですが、話の重点が後半になると10禁、20禁などと食品を区分けして福島の農業を守る為に年寄りは線量の高いものを食べて支える義務があると「食べて支える」に重点が置かれている様に思います。一方、各地の精密な線量や土壌汚染、そして食べ物のベクレル表示はおろか、子供たちの被曝検査なども市民サイドにたった検査は行われず、山下教授らによるデータ取りのみを目的化したかの様な動きもあります。
世の中では食べて救おうキャンペーン真っ盛りで食べ物のベクレル表示をする方向にはありません。そんな中、自ら子供たちを守ろうと市民が自ら線量を計測し子供の尿検査をし、疎開の補助を必死でしている市民グループがあります。福島の人々の本当の希望を小出さんは本当に理解しているのか10禁などと雑駁な表現をせず、まずは食べ物の正確なベクレル表示をすべきという点に力を注いでほしい。科学的なデータに基づき人々が自分の判断ができる様にすべき、それがなくて子供は救えないと思うのだが、それとも私が小出さんの深淵な哲学を理解できないのか良くわかりませんが。
小出さんは「農民というのはその土地が命なのです」とあっさり言うが、実際に被災した人々の現状はその様に一色なのでしょうか?311以降ますます誰かに依存してしまう我々、小出さんも神では無いのです。小出さんも彼らからすれば外部の人かもしれない。答えは決して一つでなく各自の戦いや痛みから生きて行く光や実感が得られるのかもしれない。更紗ちゃんが一つ一つ切り開いて自らの道を見出した様に、我々も依存を断ち切り自ら判断すべきです。
福島の市民グループの代表を務める中手聖一さんの話をよく聴いてほしい。もし我々に何かできるとすれば彼らの現状をよく把握して、福島などで未だ高線量下に放置されている子供たちをまず助けるという点で一致出来なければ、除染も復興もあり得ないと思う。
動画の下に貼付けたマップは政府がこそっと出したもの、静岡も15日から20日にかけて結構濃いやつがきているみたいです。クリックすれば大きくなります。






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